映画しまじろう ミラクルじまのなないろカーネーションの感想

※ネタバレを含む内容です

 

映画しまじろう ミラクルじまのなないろカーネーションを見て、私の教育観とは違う映画であると感じた。表面的には子どもが楽しめる映画であるが、子どものための映画ではないと感じた。大人や親のエゴを優先されているように思えた。現在頭に残っている情報を整理するため、この感想を書き残すことにする。

 

私が良かったと感じた点と、良くないなと感じた点を挙げ、映画への印象を整理していく。

 

【良かった点】

①子どもが安心して楽しめる配慮が為されている

②キャラクターの個性がバラバラである

③子どもが映画に参加できる工夫が為されている

④しまじろうが母の願いを尊重したこと

 

①については、劇場が完全に暗くならないこと、声出しOK泣いても大丈夫と明記されていること、途中で6分間の休憩があること、上映前の広告が子ども向け映画であることなどが挙げられる。

②については、性別も背格好も得意なことも話し方もバラバラなキャラクターが登場していてとても良かった。アイデアマンでリーダーシップのあるしまじろうが先頭に立ち、ロボロボダンスで皆が脱落していく中にゃっきいが踊りきる。お花が大好きで知識のあるみみりんがお花クイズで大活躍。唯一翼を持つとりっぴいが皆を乗せてお城にたどり着く。一人ひとりが得意分野で役割を担い、力を合わせて冒険していく様子がとても輝いていた。個人的には、なないろカーネーションを奪われてわなわな…と怒りで震えるみみりんに、お花への愛をプライドを感じ、涙ぐんでしまった。とりっぴいが鳥だけど高所恐怖症なのが可愛かった。

③ダンスコーナーやクイズコーナー、「応援してね〜!」と声掛けを頼まれる応援タイムなど子どもが映画に参加できる時間が沢山あった。展開が変わるごとに丁寧に配置されていたので、飽きないような工夫がされていて良いなと思った。最後に記念撮影タイムが設けられているのも素敵だなと感じた。

④しまじろうが「お母さんの願いは何?」と聞くと、母はしまじろうについての願いを語る。そのときに「僕じゃなくて、お母さんの願いは何か聞きたい」と何度も伝える姿がとても良かった。母親の意思を尊重するシーンであった。しかし、それも最後には子どもへの願いが優先されて美化されて終わってしまったことは残念だった。

 

【良くないと感じた点】

①親が「何があっても諦めない子」を求めるストーリー

②お母さんの願いが「ずっと若くて綺麗でいること」だったこと

③親の無責任さがうやむやにされ、子どもが親に感謝することで解決されてしまったこと

 

①については、しまじろうが母に願いを聞いたとき、「何があっても諦めない子になってほしい」と答えている。しまじろうは物語中、何度も「諦めない」と自分に言い聞かせて挑戦し続ける。無謀で危険なことにも挑戦し、失敗したしまじろうを助けようとしたミラーも一緒に転落してしまう。幸い、ミラーの能力で二人は怪我をせずに済んだ。このような都合の良いラッキーで命を落とさずに済んだという描写についても疑問を持った。「何があっても諦めない子になれ」という呪いにより頑張り過ぎたことが、体を壊したり不登校になったりと子どもの健康を脅かす問題に繋がっていると感じている。自分もその経験があるため、「何があっても諦めない」という言葉は危険性を持っていると考えている。「諦めない心」は人生に必要であるが、「諦めない」ことよりも「自分を大切にして守る」ことを優先するべきだと伝えていきたい。

②については、しまじろうが母の願いを聞いた時に「ずっと若くて綺麗でいることかな」と答えている。もちろん願いなど人ぞれぞれで不適切な願いなどはない。しかし、このような描写の積み重ねで、私たちは歪んだルッキズムを無意識に擦り込まれていると考えている。子どもに「お母さんって若くて綺麗でいたいものなのか」と意識させることで、子どもにどんな良い影響があるのか、私には分からない。

③については、プリンがみんなのなないろカーネーションを独り占めした理由に、親からの愛情不足があった。プリンの母である大魔法使いは、仕事の忙しさでプリンと一緒に居る時間が短かった。プリンは盗みをはたらいた加害者であったが、親からの愛が必要な時期に放って置かれた被害者でもあった。この映画で起きた事件はすべて、大魔法使いがプリンに適切な子育てを怠ったことが原因である。その原因はゆるい「ごめんね」で済まされ、プリンを含む子どもたちが親に「ありがとう」の気持ちを持つことを美化され求められるストーリーであった。子どもの「愛が足りない」気持ちよりも、親の「人を大切にしてほしい」思いが優先されていて、子ども主体でなく親主体の願いを感じるストーリーであった。また、プリンの父親が簡単にいないものとされていることにも疑問を持った。

 

これらのことから、私はこの映画を「子どもが表面的には楽しめるが、子どものための映画ではない」と感じた。

こども庁がこども家庭庁に改名され、共同親権導入が閣議決定され、子ども主体の社会になるべきが親・家庭主体の社会の方向へ向かっている。そんな現状の中、子どもの主体性をどう守っていくかを私は考えている。そのため、「何事も諦めず、親や大切な人にありがとうという子どもになろう」というメッセージは、子どもの主体性を軽視していないだろうかと疑問を持った。親や大人のエゴを感じたストーリーであった。大魔法使いは、プリンに「ありがとう」の気持ちを芽生えさせるよりも先に、プリンとの時間を沢山取りたっぷり愛を与えてほしいと思った。

 

ベネッセは教育業界の企業なので、教育色の強い映画になるのも致し方ない。その教育観が私の好みではなかった。

大人が学びを忍ばせず、子どもがただただ楽しめたり子どもをエンパワーメントする物語を探してみたいと感じた。